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五街道雲助 お富與三郎  発端 3/4

 3月 4日(月)五街道雲助『お富與三郎』
連続口演 第一夜『発端』 お江戸日本橋亭

連続六回口演初日。
馬石師の『名人長二』に続き、雲助師『お富與三郎』。
『名人長二』より聴く機会の多い『お富與三郎』ですが「通し口演」に接するのは初めてです。
楽しみだなぁ~。

◆五街道雲助 お富與三郎 発端
まず最初に『人情噺』の蘊蓄を雲助師が授けてくれました。
昔、寄席興行が半月或いはひと月だった頃、集客の為に『続き物』を掛けることがよくあった、とのこと。
この続き物を『人情噺』と称し、『人情噺が出来なければ一人前ではない』と言うのはつまり『続き物が出来なければ主任は取れない』という意味なんだそうです。

「一夜で終わる泣かせどころのある噺」を『人情噺』と称する用法は間違いなのですね。

そうした『かつての寄席興行』の形(毎晩ではなく、飛び飛びではありますが、十日間余りで六回口演)で『人情噺』を演じよう、との企画が今回だということです。

な~るほど。
それで『お江戸日本橋亭』なのかぁ~、と謎が解けた感じ。
往時を彷彿とさせる畳の席は、こことあと浅草見番ぐらいしか思いあたりませんものねぇ。

さて噺の方は・・・
横山町、鼈甲問屋伊豆屋の独り息子與三郎は大変な美男。
三月の陽気に誘われて散歩の道すがら、友人である宿屋の若旦那と出くわし、連れ立って上野で花見をしてから吉原へ夜桜見物と洒落込みます。

與三郎は絶世の美男子の上に控え目な人柄、敵娼にも気に入られますが、連れの友人は赤っ面で酒癖が悪いので振られてしまいます。

翌朝早く、振られた友人に急かされて二人で吉原を後にしますが、その帰り途中、まだ酔いの残る友人が船頭に絡み、弾みで川へ落ちて行方知れずとなってしまいます。

ここの吉原から大川の場面、つまり三月四日~五日早朝の出来事の描写が素晴らしかったですねぇ。
宿屋の若旦那の悪態、それを受けて敵娼の『野暮な男だねぇ』っていう表情、そして船上の三人の男の遣り取り。
まるでその場にいて、一部始終を目撃した感じでした。

船頭の知恵でその場しのぎの黙りを決め込むものの、当の船頭が大変なごろつき。
万両分限の伊豆屋の若旦那與三郎ならば、幾らでも引き出せるとばかりに強請りを掛けてきます。

この船頭、人足寄場と娑婆を行ったり来たりしていて、言わば失う物が何も無いという雰囲気。
その表情がまた悪いんだ。
雲助師上手いなぁ~悪党が。

三両、五両と半年ばかりの間に二三十両強請られていましたが、それがふと途切れた十一月の或る日、引き込んだ風邪を治そうと與三郎が薬湯へ出掛けた帰り道、待ち伏せていた船頭は新たに百両の大金を與三郎から強請り取ろうとします。

この待ち伏せ場面、船頭が頬被りを取り顔を見せるのが、玄冶店での與三郎の仕種の前奏の様でしたね。

往来で強請られている與三郎を、通り掛かった手習いの師匠関良介が見つけ、両人を自宅に連れ帰り金は立て替えるからと與三郎を家に返します。

この関良介、元々川越藩の侍でしたが十年以前に喧嘩相手を斬り殺して出奔し浪人となったという御仁。
船頭の欲深さを手玉に取り、仲裁話を進めます。

そして、他所へ預けてある千両の内から百両を払うからと船頭を誘い出し、日暮れて雪も降り出す中、飯田町へと向かいます。

飯田町近辺で良介は船頭を袈裟斬りにし、死骸はお堀へ放り込み何事も無かったが如く帰宅。
翌日伊豆屋の主人に話をし『與三郎は暫く江戸を離れた方が良かろう』と、木更津の叔父のところへ預けられることになります。

『そしてその木更津で更に與三郎の身に大きな変化が起きますが、それは明晩』
正確ではありませんが、そんな言い回しを雲助師か気持ち良さそうに口にしながら今晩は幕。

どうもこの『また明晩』という台詞は大きな魔力が潜んでいる様で、馬石師も雲助師も大変嬉しそうにこの台詞を口にしていました。

客席のこちらもなんですか、町内の寄席へ通っている感覚になりましたね。

実際にはそれなりの時間を掛けて日本橋亭まで来ているのにも係わらず、『明晩のお楽しみ』の一言に釣り込まれて『町内気分』のまま下足を取りました。

『いやぁ、早く明日にならないかねぇ』と家人と言い合いながら家路へ。





Tag:落語会・寄席  Trackback:0 comment:0 

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喜洛庵上々

Author:喜洛庵上々
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寄席、落語会、舞台などの鑑賞記を綴って参ります。

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